「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 宣伝会議」のメモ
受け手isキング
ここで、強調しすぎることのないくらい大事なことは、「メディアは必ず、受け手を必要とする」ということと、コミュニケーションにおいては「受けてこそが王様」であるということです。
伝わらないと意味がないってこと。聞こえない声は意味がない聞こえていない挨拶は挨拶してないってことと同じ。そこを忘れないようにしていないとごにょごにょ言っているだけの妄想野郎になる。
世界の発展
メディアという「観察者」「紹介者」と「取材対象」としての「業界」は一対の関係にあります。専門メディアと特定業界とは共犯者であり、運命共同体なのです。(中略)業界とは、たとえ小さくともそれを「生業」にする者にとっては、世界です。つまりメディアという観察者なしには世界は誕生せず、メディアという共犯者なしには、世界は成長していかないのです。だからこそ、メディアという存在は、特殊の立ち位置にあるものであり、それにはそれ相応のモラル・責任が求められると私は思っています。
業界はメディアに依存している。
共生関係であるってこと。メディアがない業界は発展性が低い。
預言者としての価値
メディアの「影響力」「信頼性」「ブランド価値(=高い広告単価をエンジョイできる理由)の本質、あるいは、広報や経営者が一流メディアに無意識のうちにでも感じてしまう「畏怖の念」とは、前述のようにプロセスを経て発生する、予言の実現能力に対するものです。
今のインフルエンサーもこういうことか。
企業とか情報を発信している組織も預言を実行しないと影響力を持てない。
ペルソナ
擬人化のパワーを利用し、想定読者にイタコのように憑依してみることで、こうしたシチュエーションにおける編集者ジャッジの速度と精度、一貫性を飛躍的に高まるでしょう。
方法論。誰に発信したいのか。
ブランドの本質
なぜ、そのブランドを選ぶのか?そのブランドでなければいけないのか?この問いについて、合理的に全ての理由をユーザーから理路整然と説明されてしまうようでは、「ブランド」たり得ません。
なるほどなあって感じ。ブレンド化ってかなりむずかしい。品質をチェックして基準を設けるだけではだめってことだ。
アーキテクテャの支配
新しいメディアが出てくるたびに、「このメディア上では、ユーザーはどのような無言のメッセージをアーキテクチャから受け取るのだろうか?」と自問自答をし続けましょう。
椅子の高さでおまえらさっさと帰れよとかのこと。
コンテクストを読み取り意志をよみとる。
アイデンティティ
環境変化が激しい時代だからこそ、「自分たちは何屋なのか?」「自分たちだからこそ、社会や顧客に提供できる本質的な価値とは何か?」このことを常に自問自答し続けなければなりません。(中略)今こそ、これまでの社会環境ではたまたまそれが最適であるというだけであった「お約束事」を見直し、ゼロベースで考えて、本質的な意味が今なお存在するのか、よくよく見つめ直す必要があります。
組織ではなくとも自分の人生にあてはめてもいいと思う。
自分たちだからこそ他者に与えられるものはなにかを考えることで進められるかもしれない。
ジジイにはなりたくない
ハーバードビジネススクールのクレイトンクリステンセン教授が提唱するイノベーションのジレンマ的な状況において(中略)新規サービスに対して、「こんなの本物の○○ではない。オモチャだ」と言いたくなったら、自分の脳味噌が陳腐化しており、自分自身が「抵抗勢力」の「旧守派」になってることを疑いましょう。
本当に怖い。自分がジジイになってしまうことが。
分散化という波に今はわくわくしているけど、トークンネイティブが創り出したサービスとかを理解できなくなりそう。
ずっと時代の波を感じられる人間でありたい。
終わり
MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 宣伝会議
- 作者: 田端信太郎
- 出版社/メーカー: 宣伝会議
- 発売日: 2012/12/19
- メディア: Kindle版
- 購入: 1人 クリック: 7回
- この商品を含むブログ (7件) を見る