こばやしのメモ

会いたい人:羽生善治先生 マーク・ザッカバーグ氏 緒方貞子さん

「日本人の9割が知らない遺伝の真実」は自分は可能性を持ってると忘れないようにするための本。

ダイバーシティ

つまりたくさんの遺伝子の組み合わせがどのようなものかによって、その効果が異なるというものです。たとえていえば、ポーカーの役のようなもの。ポーカーは5枚のカードの数字の合計点で競うのではなく、どんな組み合わせかで競います。一枚でも異なれば、役がつかないか、別の役になります。それと同じように、いくつもの遺伝子がセットで意味を持ち、そのセットの中の遺伝子が1つでも異なるとちがった機能をもつような遺伝様式です。  この遺伝様式は、進化の過程でなぜ適応に不利になるような遺伝子が今に至るまで生き残っているかを説明する1つの可能性を示唆しています。

 性格の話とか適性の話。

みんな同じ手札だったら人間なんかとっくに死滅してるとおもう

違う手札があるから面白いしうまいこと生き残れたんだと思う。

アイシールド21にヒルマが言ってた。めちゃくちゃかっこいい。

今はやりの、ダイバーシティーにつながるし。

日本こそダイバーシティーをしなくちゃいけないんだけど。

女性管理職増やしたら多様性は獲得できるんですかね。

 

可能性の話

一般性格因子をつくりあげる5つの性格で、例えば内向的で情緒も不安定、知的好奇心も狭いうえに愛想も悪い、だから一般性格因子得点は決して高くないのだけれど、勤勉性だけはそこそこ高かったとします。そういう人は大都会で営業マンになるには向かないでしょう。しかし山奥で一人こつこつと木工細工だけに没頭する仕事には向いているかもしれません。長い間その仕事に携わる中で、木の特性についてだけは深い知識を学び、木を加工する技術も磨き、誰にもつくることのできない素晴らしい家具をつくるようになるかもしれません。その気難しさから、とっつきにくくて、お世辞にもいまはやりの「コミュ力」があるとはいえないその偏屈な職人さんは、しかしその偏屈な勤勉さのおかげで、なまじ外向的で愛想のいい人よりも安定した信頼できる仕事ぶりを発揮し、世間で高く評価されるようになるかもしれません。

このかもしれないという考えが多様性を生むし生存戦略につながる。

かもしれない、めちゃくちゃ大事。

人の可能性を信じられない人は自分の可能性を信じられないし、人の可能性を信じられないコミュニティも発展はありえないと思う。

発展したいなら可能性、かもしれないを忘れない。

ちなみに、自分は会う人会う人みんなにおらついてる人とかは考えられない。

自分なんかはこの人はマフィアんじゃないかとかビビっちゃう 。

可能性の想像力が足りない人多すぎる問題。

想像力をつけるには小説とかを読むのがいいのかな。

 

直感は大体正しい

天才に関するエピソードを読んでいると、彼らには「先が見えている」と思わされることが多々あります。これは必ずしも科学的エビデンスに基づく話ではないのですが、遺伝的才能について私なりに思うことです。  自分がどこまで行けるか、そのためには何をしたらよいのか。まだだれもやったことがあるのを見たことがない、実現されたものを見たことがない、その意味で環境の中にないにもかかわらす、彼らにはそういうことが何となく見えている。そしてそこにたどり着くために、強いストレスをかけて努力をし(本人は努力と思っていないことも多いのですが)、さまざまなアイデアと工夫を凝らし、それを成し遂げてしまう。

 直感は大体正しい。内田樹とか直感の言語化に長けてると思うから読みたくなった時に読み直したい。

直感を信じることが大事。

そこに大事ななにかが隠れてるって言ってた。

だから、自分の直感が死につつあるっていう直感を今感じているからまじでやばい。

社会はこんなもんだからとかみんなやってるからとか自分の心に聞いてほしい。

直感が正しいって本あった気がする。

 

小さな組織

当然のことながら、獲物を追い掛けられる体力や、瞬時の判断力、生き延びるための方策を覚えている記憶力など、個人の能力には差があります。飛び抜けて獲物を狩るのが上手な人もいれば、不器用でいつも獲物を逃がしてしまう人もいる。獲物を捌くのが上手な人もいれば、そうでない人もいる。けれど、小さなコミュニティの中ではお互いが顔見知りで、だいたいどんなことができるかもわかっており、各人が自分の役割を担っていました。そうした社会の多くは、いわゆる原始共産制を営んでいますので、捕ったものはみんなで平等に分け合うことを常としていました。獲物の捕り方や食べられる植物といった知識は、大人と子どもの間の日常的なコミュニケーションの中で、特に組織的にでも計画的にでもなく、自然に教育されていたでしょうが、それによって伝えられるのは身の回りにあるモノと密接に関連したあたりまえの具体的な知識ですし、文化内容に広いバリエーションがあったわけではありません。

 これはこれできついけど。

 ちいさな組織のメリット。企業入るとだれそれが何が得意とかかき消される。

数字でしかその人の能力がみれないからもったいない。

部署内の人しかその人の能力の幅を知れないからもったいない。本当にその人はそのチームにいていいのか小さな組織のメリットはその人の得意なこと不得意なことがチーム全員が肌感覚で持てるってことなのかもしれない。

 才能

もっともっとささいなこと、例えばついこだわってしまうもの、繰り返し繰り返しそれを見たり訪れたくなる事柄や風景、なぜか絶対人に譲りたくない価値観、そのときには才能など呼べるたいそうなものとはとても思えない、見過ごしてしまうような癖であっても、それがすでに才能の素材となりえます。それがまったくない人はいません。ないと思っている人は、そう思い込まされているか、その人にとってあまりに当たり前すぎて、その特異性に気づいていないだけです。その意味で、才能の発見とは、まだ発現していないものを発現させることよりも、すでに発現しているものの中に文化的・社会的価値を見出していくことだと思うのです。

評価とは周りからされるもの。自己評価なんかなんの意味もない。

さっきの話とかにもダブるけど可能性の話。

「才能」に周りがきづけるか、そのひとのすごさを認め自信を持たせられるか。

才能が組織を助けるって、可能性が自分を助けるって考えてうごけないかな。 

 

これはなにかで使えそうな話

知識欲が性欲と似ていることに、最初に気づいたのはプラトンでした。  プラトンの対話篇の1つ『饗宴』の中では、エロスについて議論されています。美しい完全なるイデアを肉体が求めてセックスするのと同じように、真・善・美という徳を得るために人間の魂の中で生殖をする。それが、つまり哲学なんです。そして教育も魂の生殖として描かれます。

 プラトンの気付きすごい。

今の自称勉強してる人たちはセックスが好きな人たちなんだって気づきだ。

 

 運がいいだけってことは忘れるなよ!

芸能・芸術やスポーツなどの世界には、昔から「天才少年・少女」がいましたが、最近ではIT技術を活用して起業している子どもも出てきています。そのような才能は、多くは小学生のころからなにか光っていた場合が多いようです。  なぜこうした能力に「天才」が生まれやすいかといえば、こうした領域は初めからその社会の本物の姿に接し、不可視な知識や技能への道が開かれているから、そして個人で到達できる領域だったからにほかなりません。

運がいいってことたまたま自分はそんな立場になれたんだったてこと。

これはバフェットを思い出す。ノブレスじゃないけどそういう気持ちをもって人類を進める気持ちをもってなくてはいけない。アメリカの大富豪はとかく運がいいってことを忘れて自分はリスクをとった、努力をしたっていうけどそれだけじゃないやん。

人類をすすめる人のきもちを味わえる人。 

 

 やらないことを決める

あらゆる生命は、経済的合理性にしたがい、自分の持っている有限のリソース(資源)を配分して生き延びようとするものです。自分の体力や感覚もリソースですし、自分が住む土地の地理や気候、あるいはかけられる時間やお金もリソースといえます。これらはすべて「有限」です。遺伝的才能も有限なのです。  人間がこの社会で生きていくのも同じこと。自分の持つ有限のリソースをできるだけうまく使い、周りの環境に適応して生きているのです。

 時間は有限。ちきりん氏の言葉を借りるなら「有限感」時間はこれしかないんだって腹落ちする感覚能力を持てればいい。

時間のポートフォリオを組む。

まずは組むことから始めないとね。組めば何に時間をさけるのかわかるはず。

 小さな世界に収束していく

私たちの社会は、社会の隅々にまで張り巡らされたローカルな力のネットワークによって支えられており、そのなかで一人ひとりがローカルな優位性を発揮している……。この見方は世の中を理想化しすぎていると思われるかもしれません。しかしこれは理想化どころか、むしろヒトという種のもつ生物学的な意味での実態だと思います。

 ローカルの話。

 こういう小さな組織に収束していく時代にはあった考え方。

 

これも可能性 

さらに私が考えているのは「潜在優位」です。いまはまだ実現された絶対優位でも比較優位でもなく、ひょっとしたら取り組んでもいないけれど、将来できそうだ、いつかやってみたい、これをやらずに死にたくない、その実現のために、いまちょっとばかりの労力をかける気持ちになれそうな、そういう能力や知識や技能のありかのことです。この世の無限ともいうべき仕事の中で、そんな特定のものが心に芽生えただけでも、これは才能の兆候としての優位性がある。

 やる気の科学とかそういうものは結局好きなことをやれに行きつく。

落合陽一にもつながる。

自分には優位性があると気付ける気付かせる組織にいるべきだし、いなくてはならない。

けど、実際こういうことに気づけるだけでも幸運なことだと思う。

たくさんのことを経験し、出会う分母を多くするしかないな。

好きなことに気づく機会を作りたい。

 

 遺伝子って聞くともう自分の人生なんか決まってしまっていると思ってしまいそうになったけどそうじゃなかった。自分の可能性の広がりを感じられる本だと思う。

自分は可能性を持ってると忘れないようにするための本。

 終わり

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)