こばやしのメモ

会いたい人:羽生善治先生 マーク・ザッカバーグ氏 緒方貞子さん

「古代ユダヤ賢人の言葉 超訳聖書」のメモ

 こういう言葉を集めた系の本ってやっぱり難しいなって思った。

難しいっていうよりなんかのフィルターをかけてしまったようなそんなようなイメージかな。
つまりあまり響く言葉は少なかったってこと。そんな感じの本でした。

 

運命論

あなたは、誰とも同じではない唯一無二の最高傑作として、価値あることをするためにデザインされ、生まれてきた。 あなたは、意味と目的とをもってつくられた神の作品なのだ。 あなたは存在しているだけで価値がある。

 

人それぞれが使命を帯びているっていうのは正直重いと思う。勝手に今付けたものだと思う。
確かにその人は役割を与えられて生まれてきたとか、なんか運命性とか宗教性とかあってすごいロマンチックじゃないですか。
自分を大事にするって言うのは重要だと思いますけども、一人一人が神に使命を与えられてるって言うのはなんか違うなって。

一人一人に個性があるのは当然だと思うし一人一人できることや役割は違うと思う。

だけどそれは自分で見つけなければいけないものだと思う。だから早く自分で登るべき山とか本当にやりたいことを見つけたいなと思います。

 

 良心の奴隷

もしも、欲望の奴隷となって生きているとすれば、あなたは身を滅ぼすだろう。 しかし、心に響く良心の声に従えば、つまり自分の中の良心の奴隷となれば、豊かな実りある人生が、あなたを待っているだろう。

 

めちゃくちゃいい言葉だと思った。
奴隷っていう言葉自体マイナスのイメージを持つ言葉だけど、何かに従わないと生きていけない生物だと思う人間は。
従うものは人それぞれ違うかもしれないけれども。
人間なにかにすがり付きたい時があると思う。仕事をやめたいときとかパートナーにふられた時とか。

その時に一つのハックとして、自分の良心のの奴隷になるっていう考え方はしっくり来る。
奴隷は歯向かうことを許されない存在であると思うんだけども、つまり自分の良心にに歯向かうこと許されないということ。一度も自分の良心に刃向かってはならない。自分の良心に100%従うことは最も効率的だと思う。

 

 人を裁かない

自分のことは棚にあげて、他人の行動について軽々しく非難してはいけない。 それは、正しくもない自分を、「正しい」と豪語する愚を露呈しているのだということに気づきなさい。 他者を裁くとき、あなたは、その人の行動が間違っていると、認めていることになる。 ならば、あなたがそれをしても同じだ。それは間違いであり、悪なのだ。

 

 よく人のことバカだなぁと思ったりなんでそんなこと地元のやつらなんでそんなことするんだろうって思ったりするところを改めたい。

 

いつの日にか死ぬ

あなたの若い日に、あなたのデザイナーを覚え、自分が神の作品であることを心に刻め。 老人になり、もう自分には何の喜びもないと、嘆く日がくる前に。  視力が弱り、目がかすんで月や星もよく見えなくなってしまう前に。 やがて、人は誰もみな年老いて、手足が震え、背筋は曲がる。 歯も抜け落ちて堅いものも嚙めなくなり、目も見えなくなってくる。 眠りたくても、朝早くに目が覚めてしまうが、耳が遠くて鳥のさえずりも聞こえない。 歯がないから食べることもままならず、話す声もしわがれる。 体力は衰え、坂道を見ただけで気持がなえてしまう白髪だらけの老人となり、のろのろと歩き、性欲すら失せて、死へ近づいて歩いていく。

 

 

最近ようやく自分はいつの日にか死ぬって思えるようになってきた。
ぶっちゃけ今死ぬときのことと思い浮かべることはできます?できなくない?
でもやっぱり何かを成し遂げたいならこの日使う死ぬっていう感覚を早めに持つことが必要だと思う。
いつかは死ぬって言う感覚を腹落ちした状態で理解できてれば何かを成し遂げられる可能性は高くなるかもしれない。結局ビジネス書とか自己啓発の本とかを読むとこうどうしろっていうことに行き着く。
でもこの行動する方法論みたいなのの究極系って死を受け入れることじゃないかなと思う。まあこれはまだ仮説なんだけどね。死を受け入れる技術が体系化できれば人生の有限感を持つことができる人が増えるね。この研究テーマいいかもね。
身近な人の死であったり、自分が死ぬような目にあったような人は死を見据えて動くことができる。

だけどそんな人は日本にはあんまり多くないと思う。だから日本は緩やかに衰退していってるのかもね。

 

 終わり